神社と神道

■ アニミズムとパンセイズム
古代における日本人にとっての「神」は、山、川、風、森、木、草など人の力では支配できない自然を対象としていた。人知を超越した無慈悲な自然現象を恐れ、これらを神の技と考えたところから「animism(アニミズム=自然崇拝)」が始まったとされる。
古代人にとって「神」は、山、川、森など生活環境の至るところにあり、日々崇拝の対象となっていた。現在でも奈良の「大神神社」は、社殿の東にそびえる三輪山(標高467m)そのものを御神体としている。
このようなアニミズムと「pantheism(パンセイズム=汎神論)」は、現在においても文明と隔絶した環境で生活する未開民族にしばしばみることができる。
しかし、縄文時代の末期頃には、部落の長〔おさ〕など一部の特別な者(おもに権力者)を「神」と崇〔あが〕める制度や慣習が成立していた可能性も論じられている。
生きるための手段の一つとして自然崇拝を続けて来た当時の人々にとって、これは一神教に通じる新しい「神」の概念の誕生といえる。
こうして特別な者(人)を「神」と崇める制度や慣習が身についていたことは、やがてやって来る「渡来人」の支配を容易に進めることができた遠因の一つといえよう。
弥生時代に入ってからの渡来人およびその子孫を「天津神〔あまつかみ〕」として奉り、渡来人以外の縄文から続く権力者達を「国津神〔くにつかみ〕」と崇めたようだ。文献に残る数々の神話は、この時代に書き残されたと思われる。
3世紀から4世紀にかけて、九州から瀬戸内海を通って大和盆地へ入った豪族に服従させられていった各地の先住民(縄文人)が、その過程において奉じる神々を天津神、従来の神々を国津神と区別していったのだ。
■ 神による支配と国づくり
「記紀(古事記と日本書紀)」によれば、高天原〔たかあまはら、たかまがはら〕にいた神々は、出雲に「国譲り」を迫り、これを成就して天照大神〔あまてらすおおみかみ〕の孫にあたる「天津日高日子番能邇邇芸命〔あまつひこひこほのににぎのみこと〕(以下、ニニギ)」を出雲に送り込む。
もちろん神話は、天地創造や日本列島の成立、伊邪那岐命〔いざなぎのみこと〕、伊邪那美命〔いざなみのみこと〕による神々の生成なども詳細に記述しているが、この「出雲の国譲り」などは明らかに神々による現世支配であり、背景に歴史的な史実が存在していた事をうたがわせる写実的描写を備えている。
アマテラスは、ニニギを筑紫の日向の高千穂峰〔たかちほのみね〕に遣わし、葦原中国〔あしはらのなかつくに〕(高天原から見た下界、日本列島の呼称)を治めるよう下命する。これが記紀のいう「天孫降臨〔てんそんこうりん〕」であり、神々が雲上の高天原から現世に降りて来た初源とされる(高千穂峰の場所をめぐっては、宮崎県高千穂峡と霧島連峰の高千穂峰の二説が有力であるがそれ以外を唱える説もあまた存在する)。考古学的、歴史学的な見地から考察すると、この「天孫降臨」こそは縄文時代から弥生時代へ移行する経緯を劇的に描いたストーリーと考えられる。
「天孫降臨」以降の神話は、考古学的な所見と比較すると明らかに、それに続く弥生時代、古墳時代を書き残したものである。驚くべきことにこの天孫降臨を外来民族による我が国への渡来、そして「大和〔やまと〕への東遷」を象徴するセレモニーであると置き換えて解釈すると、考古学的・歴史学的に見て古代考証が容易に説明可能となるという。
神話の舞台はそのほとんどが九州であり、しかも北部に集中している。次いで多いのが出雲であり大和地方はごく僅かである。これは北九州に「天津神」がいて出雲の「国津神」から領土を譲り受け、そして大和地方を平定する経緯を考えれば当然であるといえる。

■ 八百万の神々
天地の始め、高天原に天之御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕・高御産巣日神〔たかみむすびのかみ〕・神産巣日神〔かむむすびのかみ〕の三神が現れ、続いて国土がまだ水に浮く油のように漂っている状態のときに、宇摩志阿斯訶備比古遅神〔うましあしかびひこじのかみ〕・天之常立神〔あめのとこたちのかみ〕の二神が現れる。以上の五神は別格という意味において「別天津神〔ことあまつかみ〕」と呼ばれる。
次に「神世七代〔かみよななよ〕」と呼ばれるのが、独神〔ひとりがみ〕の国之常立神〔くにのとこたちのかみ〕と豊雲野神〔とよくもののかみ〕、4組の男女二神の対偶神が続き最後に現れるのがイザナギ・イザナミである。
イザナギとイザナミは夫婦の協同作業により日本列島の生成やあまたの神々を創造するが、「迦具土神〔かぐつちのかみ〕」(火の神)を産んだ際に陰部に火傷を負いそれが原因でイザナミは死亡する。
愛するイザナミが忘れられないイザナギは、せめてもう一目逢いたいと黄泉の国〔よみのくに〕、つまり死の世界を訪れる。しかし既に醜い死霊となってイザナギに襲いかかるイザナミから逃げ、かろうじて黄泉の国から帰還し禊ぎ〔みそぎ〕を行った際、右目から月讀命〔つくよみのみこと〕、左目から天照大神、そして鼻からスサノオ(古事記では「須佐之男命」だが日本書紀では「素戔男尊」)が出現する。この3柱を「三貴子〔みはしらのうずのみこ〕または〔さんきし〕」という。
スサノオの狼藉やアマテラスの岩戸籠〔いわとこもり〕を経て、高天原を追われることとなったスサノオは出雲へ流されるが、ここで八俣大蛇〔やまたのおろち〕を退治し櫛名田比売〔くしなだひめ〕と結婚する。
「古事記」ではこの六代後に大国主命〔おおくにぬしのみこと〕が誕生するが、「日本書紀」ではスサノオとクシナダヒメの直接の子供となっている。

オオクニヌシはいくつか別名を持ち、「因幡の白ウサギ」など多くの逸話が残っているが、これは本来別々の話であったものをオオクニヌシの所業として集大成されたものという見解が有力である。
大己貴〔おおなむち〕という名は「日本書紀」におけるオオクニヌシの呼び名である。天照大神は、出雲の国は自分の子が支配すべきであると考え、タカミムスビと図って出雲に圧力をかける。オオクニヌシは言われた通りに渋々出雲の国を譲り、交換条件として豪壮な宮殿(のちの出雲大社)を建ててもらいそこに隠居する。
この国譲りの後、ニニギノミコトが高千穂の峯に降ることになる(天孫降臨)。ニニギノミコトから三代に渡って日向に住んだ神々を日向三代〔ひむかさんだい〕と呼ぶ。そして神倭伊波礼毘古命〔かむやまといわれひこのみこと〕(以下、イワレヒコ)が東を目指して遷都の旅に
出る。これを「神武東征〔じんむ(の)とうせい〕」と言い、イワレヒコは神武天皇と呼ばれ奈良の橿原に都を定め、天皇家の始祖となる。これが「記紀」による日本神話である。
※これは「古事記」冒頭の記述であり、「日本書紀」における神々の系譜は若干違った構成をとり、また神の名もかなり異なっている。「日本書紀」では最初の神はクニノトコタテノミコトである。しかし二書ともにイザナギ、イザナミ以前は、高御産巣日(高木の神)以外はただ名前の羅列であって特記する記事もないことから、神話が完成していく過程で加筆されたものと考えられる。
■ 神話の是非
戦後の歴史学は、神話性を排除するため教科書から「古事記」や「日本書紀」の内容をほぼすべて排除した。わずかに触れる場合も、文字通り「神話(=作り話)」であると断定し、言わずもがな歴史性などは一切認められなかった。
この考えは、今日でも「津田史学」として伝承されている。津田史学では、研究を始めとした一連の著作において「記紀」の歴史性を否定し、これらは大和朝廷が後世自己の正当化のために作り上げたものであるとした。ただしこれは天皇制否定論ではなく、あくまで学術的考察であったという。戦前・戦中の「天皇制」に対するトラウマは、「津田史学」をすんなりと受け入れ、急速に浸透していった。
「神話」を研究するのはあくまで文学や民俗学の対象としてであって、歴史学に置ける「神話研究」などは非現実的で非科学的とされた。このような経緯から、永い間「津田史学」は歴史・考古学会のみならず教育現場に置いても通説とされ主流の座に君臨し続けたのである。
■ 神話の見直しを迫る考古学的証拠の出土
しかしながら、1980年代から始まる考古学界の一大発掘ブームによる成果は、これまで「作り話」とされてきた文献上の記述が史実であったことを続々と証明し始めた。
そもそも根拠がなくあり得ないとされてきた城柵〔じょうさく〕や楼閣〔ろうかく〕は実在していたことが判明したし、それまで架空の人物と決めつけられていた古事記の作者=太安万侶〔おおのやすまろ〕は、昭和54 (1979)年1月にその墓が発見され、実在の人物であることが科学的にも証明された。
また、高さ40m以上(一説では90m)あったとされる古代の出雲大社本殿についても、「当時の建築技術では到底不可能」と一蹴され「作り話」と一笑に付されてきたが、平成12 (2000)年に巨木3本を束ねて1つの柱として組まれた合計9本の巨大柱の一部が発見された。これは、宮司「千家〔せんげ〕」家に古代より伝わる平面設計図「金輪御造営差図〔かなわのごぞうえいさしず〕」に記された通りであった。
あるいは、糸魚川のヒスイは遠く朝鮮半島からも出土したし、我が国独自と考えられていた前方後円墳が、韓国の墳墓にも用いられていたこともわかった。
これらの物証により、記紀の内容の一部(もしくは大部分)は事実を語っていると思わざるを得ない状況が現出してきたのである。
それまで懐疑的だった同志社大学名誉教授の森浩一氏も「今まで省みられることのなかった神話に出てくる様々な記述が、不思議と考古学的資料と合致する。これは「記紀」をもう一回読み直さないといけない」と頭を抱えている。
■ 神話を政治利用と断じる稚拙であさはかな発想
近年ある著名な歴史学者が、「最近の歴史考察における論評を見ていると、神武東征とか天照大神とか、まるで戦前の皇国史観のような論評が目立つ。このような歴史学に逆行するような風潮は強く戒めねばならぬ」などと述べていたらしいが、これは学問と政治の区別すらつかない稚拙な哀れむべき論評と言わざるを得ない。
「神話」を重視しようという歴史学における純粋な志向には、再び天皇を元帥にいただいて帝国主義を復活させようなどという意図は皆無であり、むしろそういうモノとは対局にある。
「神々」とそれを崇拝してきた我々日本人の思想体系と思考理念を明らかにすることは一環した文化事業であり、むしろ日本民族の不幸な歴史を繰り返さないための自己分析の一つとも捉えることができる。
古代の人々がいかにしてその神話を成立させたのか、またいかにしてその物語を伝承し続けたのかを考えるとき、そこに民族のプリミティブな成立要因が潜んでいることが多いのである。民族アイデンティティの根幹に通じていることは疑いない。
国の歴史を語るとき、文献の助けは不可欠である。記紀に限らず、古い伝承や出来事の記録は、史実のすべて(またはそのヒント)を語っていると見るのが自然であると考えることは、それほど的外れとは思えない。
■ 国津神と天津神の融合
最近、にわかに「天照大神=卑弥呼」とする説が有力視されつつある。邪馬台国を論ずる上で、魅力的かつ合理的なセンテンスの一つと考えられるからである。
出雲国は、荒神谷〔こうじんだに〕遺跡などが示す通り、古来より高天原とは違った権勢を誇っており、おそらくは北九州を経由せずに朝鮮半島(大陸)から直接伝播して形成された文化であると考えられる。
ではアマテラスが君臨した高天原はどこにあったのか? 当然、イワレヒコの東進によって征服された大和(奈良)以外の地であり、ニニギが降り立った九州説が有力であると思われる。
イワレヒコが日向から大和へむかう途中においても、多くの神々に遭遇するが、これらは地元に古来から勢力を持っていた豪族すなわち「国津神」である。
豊予海峡〔ほうよかいきょう〕で出迎えた珍彦〔うずひこ〕(→大和国造の祖神とされる後の椎根津彦〔しいねつひこ〕)も、宇佐で一行を歓待する祖神、宇沙津比古〔うさつひこ〕・宇沙津比売〔うさつびめ〕も、宇陀〔うだ〕で道案内をする八咫烏〔やたがらす〕も、東征の道程で遭遇する国津神は、ときに味方であったりときに敵であったりするが、いずれもその土地に根付いた土豪・豪族の首長や祖神である。
このストーリーは、渡来人(天津神)が日本に同化していく過程を示していると思われ、これに似た現象は日本中で起こっていた。ヤマトタケルの熊曾〔くまそ〕征伐や東国遠征などは、大和を治めた王朝がその版図を全国に広めていった物語の一つであると考えられるからである。
これらは、すべて日本神話における神々の記録である。自然を崇拝して来た縄文人の社会に渡来人が入り込み、先進的な技術と文明によって長となりリスペクトされる新しい神として君臨する。そして、やがて一つの民族文化へとまとまっていく。
このように、記紀の神話から始まる一連の流れの中に登場する神々を、分け隔てなく「八百万の神〔やおよろずのかみ〕」としてお祀りしているのが神道であり、そのお社〔やしろ〕が神社なのである。
■ 現代の神道
21世紀の現代、世界三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)をはじめ、辺境で続くアニミズムや個性的な新興宗教まで、様々な宗教が(基本的には)人々の助けとなり存在している。
そんな現代において、改めて神道のプレゼンスを考えるとき日本人としての一つの感慨に到達する。
むろんどんな神を崇拝するのも個々人の自由であることには変わりないが、自身をこの世に送り出し育んでくれた両親は、どんな人にとっても崇敬の対象として神に近い存在と考えられるのではないだろうか。
しかし、人によっては幼少の頃に親を亡くされ、その尊顔さえも記憶にないケースもあるだろうし、様々な事情によって別居を余儀なくされ再会すら叶わない人などもおられることだろう。そんな方々にとっても神社には神が鎮座しており、その神はどんな境遇や環境も受け入れてくれるはずである。
拝殿の奥には小さな丸い鏡がある。アマテラスを岩戸から出すきっかけとなった思金神〔おもいかねのかみ〕の発案による鏡が由来とされている。

境内に入ってすぐの場所に設置されている手水屋〔ちょうずや〕で身を清め、欲得やワガママといった「我」を洗い流した無の境地でその鏡をのぞいたとき、「カガミ」から「ガ」が消え去り「カミ」の心が見えるはずである。
その「カミ」こそが、どこに居ようとどんなときでも自身の成長と安寧を常に願ってくれているご両親の心なのである。
全国の神社に祀られている八百万の神や、アマテラスの子孫とされる歴代の天皇は、すべての日本人にとって、愛すべき崇敬すべき両親(良心)の化身なのである。
