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神との対話

Misogi - hikawamaru
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Shrine and the Shinto

 神との対話の場が神社です。そこは言うまでもなく神々しい光と空気に満ちています。日本に生まれ育った我々にとって、両親や祖先が代々同じように感じてきた共通の想いを継承していくことは、この上ない喜びです。

 神社を通して神道に興味を持った多くの人々は、国の成り立ちに通じる神話の世界へ足を踏み入れることでしょう。神社にお祀りされている神様は、古事記や日本書紀に登場する八百万の神々なのですから。

 伊弉諾尊と伊弉冉尊が結ばれて日本列島を産んだなんて、さすがに信じてはいませんが、同じように信じていなかった50メートル近い出雲の古代神殿は、考古学者によってその痕跡が発見されました(2000年)。代々出雲大社の宮司を勤める千家〔せんげ〕家に伝わる平面設計図に記された通りだったそうです。

 また最近の研究では、天照大神と同じ時代に実在した卑弥呼は同一人物ではなかったかという論も出てきました。古事記の「天の岩屋戸隠れ」と同じ頃、実際に日食が起きたことが科学的に確認されたそうです。

 これまで作り話とされてきた神話のいくつかが、にわかに事実であったと証明され始めたのです。

 竹田恒泰氏によると、「神話は事実ではなく真実」なのだそうです。自分も同様に感じます。

 キリスト教の成り立ちをすべて事実と考える人は(内心)いないと思いますが、だからといってキリスト教を全否定してしまったら、欧米文化は成り立たなくなります。

 「処女のマリアが子を産むはずがない、一度死んだ人間が復活するなどありえない…。だからキリスト教は全部Noー」ということなら、建築や絵画も音楽も、言語も生活習慣もすべてが消滅してしまうからです。

 同じように、日本も神話から成り立った文化の上に存在します。日本語の語源も生活習慣も、多くは古事記や日本書紀にも書かれた永年の営みや風習が出発点になっているのです。

 竹田恒泰氏が『古事記 完全講義』という著作の中で紹介していますが、生活に根ざしている日本の祝祭日もほとんどが神事に由来します。元日(1/1=唯一の祭日、他はすべて祝日)→四方拝と歳旦際の日、建国記念日(2/11)→神武天皇(初代)ご即位の日、春分の日(2/11)→春季皇霊祭、昭和の日(4/29)→昭和天皇誕生日…。

 

 「国際化、国際人化」が叫ばれて久しい昨今、この「国際人」とはなんぞや(?)を勘違いしている輩があまりに多いことに辟易しています。英語や仏語を話せてアメリカやヨーロッパの文化に精通していることだけが「国際人」であるかの如く勘違いしている人があまりに多いからです。もちろんそれらの知識もある程度必要でしょうが、極東の辺境地から来た日本人が欧米文化を詳しく知らなくても、それはそれでやむを得ないと納得してもらえるでしょう。しかし自国文化を知らないとなれば、そうは行きません。

 一度でも一人で欧米文化の中に飛び込んでみれば、すぐにわかります。海外で、外国人ばかりのコミュニティに入り「ニッポン人」と自己紹介した途端、日本のことをあれこれ質問されます。

 自分の経験だと、やはりスポーツ・文化と歴史に関する質問が圧倒的に多かったと記憶しております。空手や柔道、剣道、相撲、和食、茶道、日本文学、幕末維新、戦国武将、平安京、弥生時代…、そして最後には日本文化の起源、プリミティブな部分へ行き着きます。結局のところ、記紀に代表される神話の世界なのです。なぜなら、このようなケースでは日本人としてのアイデンティティが試されているのですから。

 もし同じことを、立派に「国際人化」したギリシャ人に尋ねれば、近代史から数々のギリシャ神話まで、時を忘れて朝まで(誇らしげに)語り尽くすことでしょう。

 何も答えられず冷や汗ばかりかいていた若い頃の自分は、間違いなく周囲から見下され、「コミュニケーション下手」、「国際人失格」の烙印を押されたことは疑いありません。その反動で、いい年して日本の根幹をいまだに冒険し続けているのですが…。

 海外旅行の予定なんぞ一切ない人も、心の拠り所となる日本神話の世界を旅してみませんか?  入口はみなさんのすぐ近くにあります。…それが神社なのです。

Hikawamaru
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